GWあけの週末、5月9-10日に名古屋で開催された日本アフリカ学会の大会に参加してきました。 今年は発表しようと思っていたのですが、メーリングリストの受信に不具合があってサーキュラーを受信しそびれてしまい、気付いたときには時すでに遅し、聴講だけの参加になりました。
最近はすっかり多会場スタイルになって、どの会場に行こうか迷いがちですが、資源開発やSDGsビジネスに関する演題を中心に、研究なかまによるゾウの生態調査の発表などを聴講しました。
SDGsプログラムも開始から10年以上が経過し、日本ではすっかりSDGsイコール社会正義のような雰囲気になってしまいましたが、今回の大会に参加し、SDGsの欺瞞性がいよいよ剥き出しになってきたと感じました。
思いだすのは、57回大会の公開シンポ「アフリカ研究と社会との繋がりを考える:開発をめぐる対話」です。 私は話題提供者として、SDGsが経済マターであることを指摘し、世界経済にのみこまれることなく、アフリカの人々の生をよりよくするために、研究者はいかにして地域との協働によってアフリカの人々の社会の発展に寄与するにはどうすればいいのか、自分自身が実践で直面しているさまざまな悩みについて話しました。
しかし、それからほんの5年後のいま、問題にもならないくらいの巨大な力によって、アフリカはSDGsビジネスに飲みこまれてようとしています。私の悩みなど、もはやまったく意味をなさなくなってしまいました。
住民の意向をまったく無視した再生可能エネルギープラントの導入、経済合理性の高い大規模発電システムの拡張によるローカル小水力発電の衰退などなど、SDGsの名のもとに、グローバル資本が人々の生に介入し、管理し、疎外してゆく。炭素クレジットや生物多様性クレジットによって、生身の人間の生活がお金にかえられてゆく。
昨年の万博でも、アフリカのパビリオンはほぼ例外なく、かれらの有する豊かな生物資源や地下資源の経済的ポテンシャルを訴え、投資を呼びこもうとしていました。投資、投資、投資。
暗澹たる気持ちになりました。
結局、SDGsというのはグローバル資本主義による世界征服のプログラムであり、金融-テクノロジー複合体が世界のすみずみまで支配下に置こうとする試みであるのだと思います。だとするならば、SDGsの完成年度である2030年が世界の終わりです。それはぜったいに嫌だな、と思います。ですが、敵があまりにも強大で、どうしたらよいのか途方にくれてしまいます。